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2007.07.09
せっかく行ったのに・・・
昨年の11月に車でちょっとした旅行をした、
食事と酒と温泉と競馬三昧の旅行でハチャメチャな行程だったけど、
メチャ楽しかった。
朝の4時に車で北九州を出発、約6時間かけて島根の松江に入り、
その日は松江で会員さん3名と韓国料理屋で宴会、
会員さんが経営してるスナックに移動して深夜まで、
翌日は境港他を観光して回って、夜は小料理屋で絶品の料理をご馳走に
なり、2日連続でスナックへ。
3日目の朝に松江を出発、南下して岡山の湯原温泉に入る。
再び車で南下して神戸へ、連れとでんすけを神戸のペット同宿の
「北の坂ホテル」で降ろし、私一人で尼崎のホテルへ、
チェックインを済ませて、その足で電車で大阪へ、
その夜は大阪の会員さん3人と飲み、
真夜中の新地の「千房ぷれじでんと」でヘベレケになって
お好み焼きで締め、もうフラフラ、それが木曜日。
翌日は金曜で予想だが、午前中に連れと合流し車で京都へ、
わざわざ午前中だけで京都へ行った理由は一つ、
駅前の「新都ホテル」の「カニピラフ」が食べたかったから、
とにかく美味しいのなんの、京都では必ず食べる、
ホテルのピラフだからマズイわけはないんだけど、とにかく美味しい、
安くてボリュームもタップリ、京都ではオススメです、
人それぞれだけど私なんかは洒落た京料理よりもいい。
ピラフを食べてトンボ帰りで尼崎へ、そして予想。
翌日土曜は阪神場外で競馬。
日曜はエリザベス女王杯を見に淀へ。
競馬が終わって、その足で車で北九州へ、寝てない状態で競馬をして、
そのまま京都から九州まで車の運転、疲れたぞ・・・
こんな長丁場の車での旅行だったわけだが、
その行程の中でちょっと寄った場所がまさか世界遺産に登録される
とは・・・
7月2日に島根の「石見銀山」が世界遺産に登録された、
「山陰インターネットビュー神々の国」にはこう書いて
ある、「観光バスでやってきて、大森の古い町並みを歩いて、
またバスで帰っていく……。そんな"石見銀山観光"をした人は、
きっと言うだろう。「石見銀山遺跡」?…たいしたことないよ。
洞窟みたいな坑道と古い町並みしかないからね。な
んであそこが世界遺産なんだろう」と。
そう。何の知識もなく、ドヤドヤと大人数であわただしく行って
帰るだけでは、石見銀山の価値はわからない。
公開されている龍源寺間歩は、何も知らなければただの洞窟だし、
周辺もただの田舎の山でしかない。
しかし内容を知れば知るほど興味の湧いてくる場所でもあるのだ。
(自由人別冊羅針盤より)」と、実は私もそう思った、
石見銀山に寄ったのも、広島の三次を過ぎた辺りでたまたま案内標識
に「石見銀山」と書いてあったから、それで「寄ってみようか?」と。
確かに現地では「石見銀山を世界遺産へ」という横断幕や看板を
たくさん見かけたが、正直無理だろうと思った、
そう、私に全く知識が無かったから、
見かけだけでそう感じてしまった、
世界遺産に登録されたと聞いて驚いた、それで色々調べてみると、
ウイキペディアにはこう書いてある、
「日本政府は「東西文明交流に影響を与え、
自然と調和した文化的景観を形作っている、
世界に類を見ない鉱山である」として、「石見銀山遺跡と
その文化的景観」の世界遺産登録を目指し、
2001年に世界遺産登録の前提となる「暫定リスト」に掲載し、
2006年1月にUNESCO世界遺産委員会に推薦書を提出した。
しかし、2007年5月、各国から推薦された世界遺産登録候補を審査する
UNESCOの諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が、
遺跡の普遍的価値の証明が不十分であることを理由に
「石見銀山は登録延期が適当」と勧告したのだった。
これに対して、日本政府や地元は「世界遺産への登録は極めて厳しい」
と判断したが、ユネスコ政府代表部は、
委員会構成国の大使や専門家に、
勧告に反論する110ページにわたる英文の「補足情報」を送るなどして、
石見銀山の特徴である「山を崩したり森林を伐採したりせず、
狭い坑道を掘り進んで採掘するという、環境に配慮した生産方式」
を積極的に紹介し、巻き返しのための外交活動を展開した。
その結果、「21世紀が必要している環境への配慮」がすでにこの場所
で行われていたことが委員の反響を呼び、
6月28日、世界遺産委員会の審議により、
世界遺産(文化遺産)としての登録が満場一致で正式に決定された。
絶望的と思われていた「世界遺産登録」の一報を聞いた地元は、
歓喜の渦に包まれた。日本の世界遺産登録としては14件目であり、
文化遺産としては11件目、産業遺跡としては日本国内初の登録となる」と。
そんな場所に何の知識も持たずに行って、外見だけで本質を
追求せずに帰った事、なんて愚かな事をしたのだろう、
そう後悔している次第である・・・

食事と酒と温泉と競馬三昧の旅行でハチャメチャな行程だったけど、
メチャ楽しかった。
朝の4時に車で北九州を出発、約6時間かけて島根の松江に入り、
その日は松江で会員さん3名と韓国料理屋で宴会、
会員さんが経営してるスナックに移動して深夜まで、
翌日は境港他を観光して回って、夜は小料理屋で絶品の料理をご馳走に
なり、2日連続でスナックへ。
3日目の朝に松江を出発、南下して岡山の湯原温泉に入る。
再び車で南下して神戸へ、連れとでんすけを神戸のペット同宿の
「北の坂ホテル」で降ろし、私一人で尼崎のホテルへ、
チェックインを済ませて、その足で電車で大阪へ、
その夜は大阪の会員さん3人と飲み、
真夜中の新地の「千房ぷれじでんと」でヘベレケになって
お好み焼きで締め、もうフラフラ、それが木曜日。
翌日は金曜で予想だが、午前中に連れと合流し車で京都へ、
わざわざ午前中だけで京都へ行った理由は一つ、
駅前の「新都ホテル」の「カニピラフ」が食べたかったから、
とにかく美味しいのなんの、京都では必ず食べる、
ホテルのピラフだからマズイわけはないんだけど、とにかく美味しい、
安くてボリュームもタップリ、京都ではオススメです、
人それぞれだけど私なんかは洒落た京料理よりもいい。
ピラフを食べてトンボ帰りで尼崎へ、そして予想。
翌日土曜は阪神場外で競馬。
日曜はエリザベス女王杯を見に淀へ。
競馬が終わって、その足で車で北九州へ、寝てない状態で競馬をして、
そのまま京都から九州まで車の運転、疲れたぞ・・・
こんな長丁場の車での旅行だったわけだが、
その行程の中でちょっと寄った場所がまさか世界遺産に登録される
とは・・・
7月2日に島根の「石見銀山」が世界遺産に登録された、
「山陰インターネットビュー神々の国」にはこう書いて
ある、「観光バスでやってきて、大森の古い町並みを歩いて、
またバスで帰っていく……。そんな"石見銀山観光"をした人は、
きっと言うだろう。「石見銀山遺跡」?…たいしたことないよ。
洞窟みたいな坑道と古い町並みしかないからね。な
んであそこが世界遺産なんだろう」と。
そう。何の知識もなく、ドヤドヤと大人数であわただしく行って
帰るだけでは、石見銀山の価値はわからない。
公開されている龍源寺間歩は、何も知らなければただの洞窟だし、
周辺もただの田舎の山でしかない。
しかし内容を知れば知るほど興味の湧いてくる場所でもあるのだ。
(自由人別冊羅針盤より)」と、実は私もそう思った、
石見銀山に寄ったのも、広島の三次を過ぎた辺りでたまたま案内標識
に「石見銀山」と書いてあったから、それで「寄ってみようか?」と。
確かに現地では「石見銀山を世界遺産へ」という横断幕や看板を
たくさん見かけたが、正直無理だろうと思った、
そう、私に全く知識が無かったから、
見かけだけでそう感じてしまった、
世界遺産に登録されたと聞いて驚いた、それで色々調べてみると、
ウイキペディアにはこう書いてある、
「日本政府は「東西文明交流に影響を与え、
自然と調和した文化的景観を形作っている、
世界に類を見ない鉱山である」として、「石見銀山遺跡と
その文化的景観」の世界遺産登録を目指し、
2001年に世界遺産登録の前提となる「暫定リスト」に掲載し、
2006年1月にUNESCO世界遺産委員会に推薦書を提出した。
しかし、2007年5月、各国から推薦された世界遺産登録候補を審査する
UNESCOの諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が、
遺跡の普遍的価値の証明が不十分であることを理由に
「石見銀山は登録延期が適当」と勧告したのだった。
これに対して、日本政府や地元は「世界遺産への登録は極めて厳しい」
と判断したが、ユネスコ政府代表部は、
委員会構成国の大使や専門家に、
勧告に反論する110ページにわたる英文の「補足情報」を送るなどして、
石見銀山の特徴である「山を崩したり森林を伐採したりせず、
狭い坑道を掘り進んで採掘するという、環境に配慮した生産方式」
を積極的に紹介し、巻き返しのための外交活動を展開した。
その結果、「21世紀が必要している環境への配慮」がすでにこの場所
で行われていたことが委員の反響を呼び、
6月28日、世界遺産委員会の審議により、
世界遺産(文化遺産)としての登録が満場一致で正式に決定された。
絶望的と思われていた「世界遺産登録」の一報を聞いた地元は、
歓喜の渦に包まれた。日本の世界遺産登録としては14件目であり、
文化遺産としては11件目、産業遺跡としては日本国内初の登録となる」と。
そんな場所に何の知識も持たずに行って、外見だけで本質を
追求せずに帰った事、なんて愚かな事をしたのだろう、
そう後悔している次第である・・・
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